2011年10月12日水曜日

久しぶりのダンス観覧 1

昨日は、久しぶりにダンスの公演を見に行きました。それも一日に二つも。
なんとなく、劇場空間にしばらく行かなかったのですが、やはり、そこは、不穏な空気が流れているところです。

笠井叡 振付け作品 「血は特別なジュースだ」
予想どうり、作品というより、笠井さんの独壇場。
20年ほど前から、折に触れ、笠井さんの踊りは、見ているけれど、基本的な印象は、変わらない。
驚くべき動きの正確さと、おもちゃ箱をひっくりかえしたような乱雑さ。
顔の筋肉を、手足と同じように常に動かし、内側からの発声力を四肢に伝え、波動を、劇場中に放射する。
劇場にただ一人、不敵に立ち、鏡の中の自己の像のように、観客一人一人を射抜いているような眼。
時間の中で開花するようなものはなく、生成されたエネルギー、フォルムは瞬時に捨てられ、なにかと闘っているようにも、逃れているようにもみえる。

しかし、今回というよりも、笠井さんの踊りを見てきて、じょじょに、エネルギーやフォルムが瞬間に形成される力が後退し、なにか、不定形な情動のようなものがでてきているように感じる。
劇場宇宙の中で、屹立するような意志が、なにかに呑みまれていっているようにも感じるのだけれど、笠井さん自身は、そのように感じているのだろうか。笠井さんは、何処に向かっていこうとしているのだろうか。
私は、少し不安なものを感じる。

笠井さんの踊りを見ていて、舞台上での他のダンサーとの共演をほとんど不可能に感じるし、舞台作品として見る事も不可能に感じる。
笠井さんは、舞台で観客を鏡として、対峙しているように感じる。鏡が映す像や、イメージに囚われる事を嫌い、鏡に切りつけ、振り切り、見返し、破壊する。そのような中では、舞台上での他者の身体も一つの鏡の像にすぎない。
しかし、笠井さんは、そのよう事を、踊りを始めて以来、ほとんどずーと続けてきている。
驚くべき、執拗さ、情熱だ。
過去、笠井さんの踊りを見てきて、時々、鏡をつき抜け、雲ひとつない青空で、大地で、無心に踊る無垢で、無名のからだを目撃したようにも記憶する。

1 件のコメント:

  1. お久しぶりです。
    この前のマンスリーダンスセッションはとても楽しく、勉強になりました。

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