2011年8月26日金曜日

甲谷さんとの対話

2006年の春、甲谷さんとの病室での文字盤での対話。これ以降、会話が難しくなり、突っ込んだ対話はこれが、最後となりました。病状、死、性、苦など、応えにくい事について、驚くほど、率直に語ってくれました。




「体が動かなくなるというのはどういう感じか?からだと分離して、からだが鏡のように感じられるのか?」
-鏡というのはいい喩え-

-感情が、景色のように感じられる。
感情失禁がつらい。

「感情が、まわりにいる物が感じる、泣いたり、笑ったりしているように、肉体的現象として顕われるものの他に、私達が感じられない、感情があるけれど、肉体的現象の感情のみを見られて、それを甲谷さんの感情と思われる事がつらいと言う事か?」
そう-
「感情がいわば、層のようになっていると言う事か?
-そう-
「その、層のようになっている感情のいわば、表面の笑ったり、泣いたりする部分を、
違う生き物のように眺めている感じなのか」
-いや、端的に言うと、他人との境目が外れたような感じ-
「それでは、より深い層の感情はどんな感じなのか」
-私の感情ではなく、私たちの感情に近づいていく-
「表面的感情も境目が外れてといったが、それは、私達の感情ではないのか。その違いは」
-海のように、表面は波があり、動いているが、底のほうは静かな感じ。-
3月はじめに、精神的につらいとホームページにあったが、何が辛かったのか」
-やはり、死の問題-
「それは、話す事ができないと言う孤独と言う事も関係あるか」
-まあ、それは副次的な問題で、やはり死と向き合わなければならないと言う事-
「その死は個人的な恐怖のような感じか」
-もちろん、肉体的には個人的だが、全人類の死の感じ-
「周りは、どう感じ、見えるか。例えば、散歩している時、風を感じ、花を見るとき」
-瞬間、瞬間ある物が顕われ、消えて、又あるものがリアルに顕われるような感じ-
「それは、蓄積や、所有と言う事がなくなってきたからそうなのかもしれないね。」
泣く。
「死に向き合うというのは、完璧に無所有になる過程かもね」
   泣く。
「今、一番楽しみは、散歩、マッサージ。・・・」
-いや、人との縁が広がる事-

「色々な人のマッサージを受ける訳だけど、その感触は体の中に残っているの。
-そう-

「あなたは、性的な衝動を感じる事がありますか」
-ほとんどない-
「性的な衝動は、何か違う物に変わったのか」
-愛や慈悲と言うようなものに変わったような感じ-
「それは、性的な衝動とは、まったく違う物と言う感じなのか」
-いいや、それが変容したというかんじ-
「それは、普通性的な衝動は、自然なはけぐちに、流れ、解消されるものだが、
それができない場合、それは、イマジネーションを活性化し、知覚が生き生きとした物に
なるという感じか。
-そう-
「性的な衝動は、善にも、悪にも結びつくと思うが、その分かれ目は何か」
-人はSEXを問題とするが、愛というものを知ろうとしない-

「性的衝動には一種の性急さのようなものがあるけれど、愛にはそれがない」

ALSになって、性的な感覚が変わった、事は、具体的な転機のようなものがあったのか」
-1人の種子の中に、全人類を感じた-
「種子?」
-女-
「以前から、瞑想等をやってきて、そのような体験、認識はある程度あったと思うが、
今は、何が違うのか」
-苦の体験-
「苦というのは、普遍的なもので、人はそれから逃げられないということか」
-そう、甘かった-
「それが、人が、肉体と言うものを持った意味?」
-そう、それが創造-

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